●決意というよりも、静かな継続、沖縄で文学をする未来像
連載を書きながら、何度も問い直してきた。
沖縄で文学をするとは何か。
地方にいることは不利なのか。
歴史を書くべきか。
仲間はどこにいるのか。
生活と創作は両立するのか。
どの問いにも、決定的な答えは出ていない。
けれど、今はっきりしていることがある。
私は、ここで書き続ける、ということ。
私は今、日本図書館協会の図書館の自由委員会に所属している。
そして、機関誌である『図書館雑誌』にコラムを掲載していただく立場にある。
図書館の自由とは何か。
知る権利とは何か。
検閲や排除にどう向き合うのか。
それは、文学と無関係ではない。
むしろ、深くつながっている。
「どの言葉を書くか」という問題は、
「どの言葉が棚に並ぶか」という問題でもある。
沖縄で文学を書くことと、
図書館の現場で自由を守ること。
この二つは、私の中で別のものではない。
文学が言葉を生み出す営みだとすれば、
図書館はその言葉を社会に開く場だ。
私は、書き手であると同時に、
言葉の流通を支える側にもいる。
正直に言えば、
私は文学だけで生きていく覚悟があるわけではない。
けれど、図書館の世界でキャリアを積みながら、
文学にも関わり続けたいという未来像は、はっきりとある。
図書館の自由委員会での活動。
『図書館雑誌』での執筆。
現場での実務。
それらは、単なる仕事ではない。
沖縄という土地で、
どんな本が読まれ、
どんな声が届き、
どんな表現が守られるのか。
その一端に関われることは、
文学をするうえでも大きな意味を持つ。
いつか、沖縄の図書館が、
もっと多様なzineや詩集を自然に所蔵し、
地域の書き手が棚に並ぶことが当たり前になる未来。
その仕組みづくりにも、関わっていけたらと思う。
沖縄で文学をする未来は、
巨大な市場をつくることだけではない。
小さな文芸誌が続き、
図書館に地域の本が並び、
学校で詩が読まれ、
若い書き手が「東京に行かなくてもいい」と思える環境があること。
中央に対抗するのではなく、
沖縄の時間で成熟していく文化。
私はその一部でありたい。
書き手として。
編集者として。
図書館に関わる者として。
大きな宣言はしない。
ただ、続ける。
仕事をしながら、
図書館の自由について考えながら、
zineを作り、
落選に落ち込み、
それでもまた書く。
沖縄で文学をする未来は、
派手ではないかもしれない。
けれど、確実に言えることがある。
ここで積み重ねた言葉は、
どこかの棚に並び、
誰かの手に取られ、
また別の言葉を生む。
その循環の中に、
私も静かに立っていたい。
決意というよりも、
生活に根ざした継続。
沖縄で文学をするということは、
ここで生きるということと、
切り離せないのだから。
更新日:2026年2月25日
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