連載形式で、私なりの「沖縄で文学をするとは」について、語ろうと思います。これは、あくまで、私個人の主観的な意見であり、論文のような力はありませんが、沖縄に住む一人の人間の呟きだということで読んでいただければ嬉しいです。
●東京に出なければ文学はできないのか?
私が、まず、思い浮かぶ問いは、「東京に出なければ文学はできないのか?」です。
直近だと、2024年に、琉球大学在学中に豊永浩平さんが「月ぬ走
いや、馬ぬ走い」で第67回群像新人文学賞を受賞してデビューし、第46回野間文芸新人賞を受賞しています。
そして、北海道生まれ、宮古島育ちの坂本湾さんが2026年、「BOXBOXBOXBOX」で芥川賞候補作に選ばれています。
若手の沖縄出身・育ちの作家が多く輩出されている中、(2025年に公開された堤真一×山田裕貴主演映画「木の上の軍隊」の監督平一紘も、沖縄出身の方です。)私は改めて考えてしまいます。
本当に、「東京に出なければ」文学はできないのでしょうか。
たしかに、日本の出版流通や文学賞の多くは東京に集中しています。編集者も出版社も書店も、文学イベントも、その中心はほとんどが首都圏です。文学を志す人間が「一度は東京へ」と考えてしまうのは、ある意味で自然なことなのかもしれません。
けれど一方で、2024年に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で第67回群像新人文学賞を受賞した豊永浩平さんは、琉球大学在学中の受賞でした。東京に常駐していなくても、作品は届くのだと示した出来事だったように思います。
そして2026年、『BOXBOXBOXBOX』で芥川賞候補となった坂本湾さんもまた、沖縄と深く関わりながら作品を発表しています。
彼らの存在は、「場所は絶対条件ではない」と私に教えてくれます。
それでもなお、私は揺れます。
文学を“する”ということは、単に作品を書くことだけではありません。
批評と出会い、他者と議論し、切磋琢磨し、時に嫉妬し、刺激を受けることも含まれています。
その環境は、やはり東京の方が圧倒的に濃い。
沖縄で文学をするということは、ときに孤独です。
文学イベントは少なく、批評の場も限られ、同世代の書き手と出会う機会も多くはありません。自分の作品が、どこまで届いているのか実感しにくい。
静かであることは、豊かさでもありますが、不安でもあります。
けれど、その「静けさ」は、悪いことばかりではないとも思うのです。
東京の速度ではなく、沖縄の速度で書く。
締切や流行に過度に巻き込まれず、湿度や風の音とともに言葉を練る。
ここには、ここでしか生まれない時間がある。
沖縄で文学をするとは、中心からの距離を抱えながら書くこと。
そして、その距離を言い訳にせず、武器にもせず、ただ“条件”として受け入れることなのかもしれません。
東京に出なければ文学はできないのか。
私の今の答えは、こうです。
できる。
けれど、簡単ではない。
それでも私は、いま立っているこの場所から書きたい。
海の向こうを想像しながらではなく、足の裏に触れている地面の感触から、言葉を掬い上げたい。
沖縄で文学をするとは、
中央を目指すことではなく、
ここで書く理由を、自分の中に見つけ続けることなのだと思います。
更新日:2026年2月22日
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